ボストン美術館の富田幸次郎
富田幸次郎(1890-1976)は、ボストン美術館の東洋美術部長として戦前から戦後にかけて活躍した人物です。明治23(1890)年、蒔絵師の大家、富田幸七の長男として京都市に生まれました。
明治39(1906)年、京都市立美術工芸学校専攻科在籍中に農商務省海外実業練習生に選ばれ、室内装飾を学ぶため、ボストンに留学しました。そこで、ボストン美術館顧問を務めていた岡倉天心に会い、天心から美術館の手伝いを勧められました。当時17歳の富田は、そのときのことを 「幼いながら天心先生の人格を私はピンと感じて、その言葉に従った」 と語り、海外実業練習生の傍ら、ボストン美術館で働き始めました。富田は、美術館の仕事のみではなく、天心と生活を共にして身の回りの世話もすることで、東洋美術の神髄、天心の心を学んだといいます。そして、海外実業練習生を終えた後もボストンに残り、大正2(1913)年の天心逝去後、天心の衣鉢を継ぐことを使命に、55年間にもわたりボストン美術館で勤めました。
本展では富田幸次郎が、病気のため帰国していた天心(当時、ボストン美術館中国・日本美術部長)に宛てた書簡を公開いたします。書簡から、天心の最晩年、ボストン美術館でどのような仕事が行われていたかがうかがえます。
展示資料
富田幸次郎書簡・岡倉天心宛(大正2 年 6 月 13日)部分 当館蔵
岡倉天心は、当時、ボストン美術館の中国・日本美術部長を務めていましたが、病気のため、2月に休職願を提出し帰国していました。代わって美術館業務は、部長代理であった J.E.ロッジと、富田幸次郎が担当していました。美術館では、夏に刊行予定の漆工芸図録の準備が進められており、天心が序文と漆工芸史を、ロッジと富田が漆工人名録を執筆していました。その参考用に、天心は前年(明治45年)に出版された『古今漆工通覧』(我が国初の漆工人名辞典)を美術館に送りました。
書簡内容は、漆工人名録の進捗状況が中心となっています。人名録に掲載する漢字活字の大きさ見本として切り抜きが同封されており、漢字活版の手配を日本にいる天心に依頼していたことがうかがえます。なお、天心逝去(9月2日)に伴い、漆工芸図録は出版されなかったようです。
また、書簡に書かれている鍔(つば)は、天心の知人で、貴族院議員の千頭清臣(ちかみきよおみ)のコレクションのことで、天心は購入に向けて 1300 点の鍔の目録を彫金家の岡部覚弥(かくや)に作成させました。
富田幸次郎年譜
和暦 | 西暦 | 年齢 | 事項 |
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明治23年 | 1890 | 0歳 | 3月7日、京都市上京区にて、蒔絵師の富田幸七、ランの長男として生まれる。 |
明治39年 | 1906 | 16歳 | 京都市立美術工芸大学を卒業し、専攻科へ進学。在学中に農商務省海外実業練習生に選ばれ、京都市嘱託としてボストンに留学。 |
明治40年 | 1907 | 17歳 | ボストン美術館顧問であった岡倉天心の知遇を得、ボストン美術館中国・日本美術館の嘱託となる。 |
明治41年 | 1908 | 18歳 | ボストン美術館中国・日本美術部助手となり、一年間、メトロポリタン美術館の臨時嘱託員として勤務 |
明治42年 | 1909 | 19歳 | ハーバード大学夏期講習を受講。海外実業練習生期間満了。京都市嘱託は継続。 |
明治43年 | 1910 | 20歳 | 日本政府の委嘱により日英博覧会の事務取扱のためイギリスに滞在。フランス、ベルギーを視察。 |
明治44年 | 1911 | 21歳 | 美術調査のため帰国(1回目)。 |
大正2年 | 1913 | 23歳 | ボストン美術館中国・日本美術部管理員となる。岡倉天心没。 |
大正5年 | 1916 | 26歳 | ボストン美術館中国・日本美術部副部長に就任。美術調査のため帰国(2回目)。 |
大正12年 | 1923 | 33歳 | ボストン美術館で秘書をしていたハリエット・デキンスンと結婚。 |
大正13年 | 1924 | 34歳 | 美術調査のため帰国(3回目)し、「吉備大臣入唐絵巻」を購入、天心の墓参を行う。 |
昭和6年 | 1931 | 41歳 | ボストン美術館東洋美術部長に就任。 |
昭和7年 | 1932 | 42歳 | ボストン美術館開催の「日本古美術展」準備のため帰国(4回目)。 |
昭和11年 | 1936 | 46歳 | 「日本古美術展」出品受取のため帰国(5回目)。 |
昭和14年 | 1939 | 49歳 | ピーボディ博物館の日本部名誉部長に就任。 |
昭和28年 | 1953 | 63歳 | 米国に帰化。 |
昭和33年 | 1958 | 68歳 | ボストン美術館勤務50年を機に中国・日本美術方面の美術調査を兼ねて来日(6回目)。日本政府より勲三等端宝章受章。 |
昭和36年 | 1961 | 71歳 | アメリカ美術科学会員に列せられる。 |
昭和38年 | 1963 | 73歳 | ボストン美術館勤務55年を機に現職を引退。名誉部長に任命される。来日(7回目)。 |
昭和39年 | 1964 | 74歳 | 茨城大学五浦文化研究所に岡倉天心の遺品、原稿等を寄贈。 |
昭和41年 | 1966 | 76歳 | 母ランの43回忌のため、来日(8回目)。 |
昭和51年 | 1976 | 86歳 | 4月10日、ボストン市の病院にて逝去。 |