雨華庵の松 酒井抱一を偲んで
テーマ展示「雨華庵の松 酒井抱一を偲んで」
酒井抱一(1761-1828)は江戸時代を代表する画家・俳人で、「夏秋草図屛風」(東京国立博物館蔵)などの代表作が知られている。
文化6年(1809)、抱一は現在の台東区・根岸に移り、雨華庵と称して晩年までここを拠点とした。雨華庵は抱一没後も彼を敬慕する者たちによって受け継がれ、明治時代には天心と交流のあった四世酒井道一が庵を継承、大正時代には木村武山も仮寓した。
ここに展示する巻子は雨華会が催した行事に関するもので、近代の抱一受容を示す好資料である。冒頭、武山の筆によって松が描かれ、大正4年(1915)11月に好事家たちが雨華庵に集った経緯が続く。
もともと屋敷の庭には遺愛の松が植わっていたが、遂に枯れてしまったため、武山たちは古木を再利用した「(抱一)上人好みの器」を頒布。跡地には若木が新しく植えられたという。
巻末の署名をご覧いただきたい。武山と同じく、大正3年に日本美術院の再興に携わった齋藤隆三、笹川臨風をはじめ、児童文学者・巖谷小波、考古学者・柴田常恵、劇作家・松居松葉、俳優の森律子、河村菊江など、多くの文化人が名を連ねる。
齋藤や柴田らが結成した同好会・又玄会の機関雑誌『犬梟』の記事によれば、雨華会は齋藤、笹川、武山による話し合いで発足したといい、会員は三者の知人を中心に構成されたのだろう。
また三越と関わりの深い人物が多いことも注目に値する。例えば齋藤や巖谷らは、三越創始者・日比翁助が組織した流行会の会員である。流行会は、まさに時代の「流行」を生み出すことを企図したもので、森鷗外や新渡戸稲造らが参加していた。同会では江戸時代の研究が盛んに行われ、大正期には「江戸趣味」の気運が醸成されていた。
すなわち、大正4年の雨華庵の集いとは、好事家たちが抱一上人を偲ぶとともに、過ぎ去りし江戸の世を懐旧する催しであったことだろう。署名はないが、雨華会には横山大観、鏑木清方といった日本画家も参加した。
展示資料
「 雨華会の記」大正4年
個人蔵
大正3年の春、雨華庵の庭にあった抱一遺愛の枯松で記念品をつくるべく齋藤隆三、笹川臨風、木村武山の三者で話し合いが行われ、ここに雨華会が発足した。
翌年11月、雨華庵には新たに若木が植えられ、枯松を使った硯箱や短冊箱が陳列された。加えて、抱一の墨蹟や遺品も並び、『雨華抱一』(1900)の著者・岡野知十の所蔵品も展観された。