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本日 5月1日(木)の開館状況

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酒井三良さんりょうと五浦

岡倉天心記念室の写真

酒井三良さんりょうと五浦

酒井三良(1897-1969)は、ふるさと会津の農村風景やそこに暮らす人々の素朴な生活を描いた日本画家である。大正8年(1919)、《雪に埋もれつつ正月はゆく》が第2回国画創作協会展に初入選し、これが三良の出世作となる。大正10年、会津を訪れた小川芋銭うせん(1868-1938)の勧めにより出品した再興第8回 日本美術院展覧会に《災神を焼く残雪の夜》が入選し、以降再興院展を中心に活躍した。大正13年には、当時最年少で日本美術院の同人に推挙されている。


実は三良は、五浦の横山大観邸に住んでいた時期がある。大観邸は明治41年(1908)火事により全焼した。これにより大観は五浦を離れたが、その後五浦の邸宅を再建して別荘として使用していた。大観に勧められて昭和21年(1946)から家族と共に移住した三良は、8年間にわたって五浦で生活をし、その間茨城美術会への参加や茨城県展の審査員・運営委員を歴任するなど、茨城とのつながりを深めた。


岡倉天心邸や六角堂は、五浦で暮らす三良にとって身近な存在だった。当時は戦後の混乱により、持主の岡倉天心偉績顕彰会(理事長 横山大観)では建物の管理を十分行うことができず、敷地内は荒廃していた。三良は昭和24年、天心邸の修繕を大観に提案しており、天心が五浦に残した遺産を大切に守ろうとしたことが伝わる。


当館では現在、五浦に関わる酒井三良旧蔵資料の調査を進めている。今回は、三良の五浦時代に撮影された写真資料を中心に展示し、三良と五浦との関わりを紹介する。

 

展示風景

展示風景


掲載日 令和6年11月6日