岡倉天心記念室テーマ展示

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テーマ展示「ローマ日本美術展覧会~横山大観と岡倉由三郎~」

テーマ展示「ローマ日本美術展覧会~横山大観と岡倉由三郎~」

昭和5年(1930)4月、イタリア政府主催による日本美術展覧会がローマで行われた。本展は海外で日本画の優品を紹介すべく、美術愛好家である大倉喜七郎が莫大な私財を投じて開催されたもので、出品画家として日本美術院からは横山大観、大智勝観、速水御舟が現地に渡った。同展には、横山大観「夜桜」や前田青邨「洞窟の頼朝」(ともに大倉集古館蔵)など、近代日本美術史を代表する作品が多く出展された。また、大工や表具師も設営のため渡欧し、会場には床の間が設えられるなど、日本式の展示空間がつくられたことも大きな特徴となった。

さて、同展開会式にて、大観が読み上げた開会の辞の草稿が当館のコレクションにある。これは岡倉天心の弟で英語学者であった由三郎の旧蔵品であり、由三郎が英訳を担当したと推定される。前年11月、大観は完成した「夜桜」の披露会を日本美術院で催しているが、このとき由三郎も観覧に訪れるなど、大観の活動を支援していた。

大観の草稿は、日本画は「余白多ク静観的体験ヲ主トスル」ものであるとした上で、「日本画独特ノ雅致ト風韻」を伝えるに適した鑑賞空間を現出するため、会場に畳や床の間を設けたと、その造作の意図を説明している。日本画の特色を正確に、かつ簡潔に海外に紹介するためには、翻訳者にも芸術への深い造詣が求められただろう。その意味で、天心が最も信頼を寄せていた肉親であり、また大観らの芸術性を正しく理解した由三郎は、この大舞台における翻訳者として適任者であったといえる。

本展示では、大観の草稿をはじめ関連資料を一挙公開し、大観、由三郎らが準備を進める様子を紹介する。

展示資料
横山大観「書簡・岡倉由三郎宛」昭和5年1月19日
当館蔵

岡倉由三郎に英訳を依頼していた原稿について、「答辞之文中左の三個處々文句相増し度存候間可然御計ゐ相願ゐ度懇願仕候」と、一部文章を修正して翻訳をして欲しいとの内容が綴られている。

横山大観「書簡・岡倉由三郎宛」昭和5年1月20日
当館蔵

文章の修正を依頼したその翌日に差し出された書簡である。1月27日に東京駅を出立することを報告し、改めて挨拶に伺う時間をとれないと詫びている。19日の書簡と比較すると、明らかに大観の筆が急いでおり、出国前の慌ただしい様子がうかがえる。

横山大観「ローマ開催日本美術展覧会開会の辞(草稿)」昭和5年頃
当館蔵

昭和5年の4月26日、ローマで日本美術展覧会の開会式が行われた。本草稿は、ムッソリーニ首相の祝辞に対する、画家を代表した答辞にあたる。大観は日本画が床の間芸術であると強調しており、実際の会場も床の間や生花等の調度品が設えられるなど、和の演出がなされた。

岡倉由三郎「横山大観「ローマ開催日本美術展覧会開会の辞」(草稿英訳)」昭和5年頃
当館蔵

由三郎が「開会の辞」を英訳したもの。各所に手直しが加えられており、由三郎が丁寧に推敲を重ねる様子がうかがえる。原文中、大観が画論を展開する箇所などは、翻訳者にも東洋画への相応の理解が求められるはずだが、見事に訳されている。

齋藤隆三か「横山大観「美術愛好家の批判を乞う」(草稿)」昭和5年頃
当館蔵

大観はローマで「美術愛好家の批判を乞う」という声明をイタリア語で発表しており、由三郎が旧蔵した本草稿は、その原文にあたると考えられる。これまで筆記者不明とされてきたが、再興日本美術院の経営者であった齋藤隆三の筆跡に極めて近い。筆記を残した詳細な経緯は不明である。

 

各資料の図版、読み下しはこちら >>
会期中のイベント
鑑賞ワークショップ「床の間の美学。畳で日本画鑑賞!」
内容 岡倉天心記念室に展示されている旧天心邸再現書斎にあがって、床の間に掛けられた横山大観の掛軸を間近で鑑賞します。また、東京美術学校(現・東京藝術大学)開校当初の校服(複製)の試着体験もできます。
日時 4月30日(日) 10:00~11:00、13:00~14:00
会場/定員 岡倉天心記念室/定員はありませんが、混雑の場合はお待ちいただく場合があります。
※常設展チケットまたは企画展チケットが必要です。申込不要。
※混雑時には各回の終了時刻20分前に受付を締め切ります。
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