岡倉天心記念室テーマ展示

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「絵画における近代の諸問題」から『茶の本』へ

「絵画における近代の諸問題」から『茶の本』へ

「絵画における近代の諸問題 (原題:Modern Problems in Painting)」は、天心が明治37(1904)年のセントルイス万国博覧会で行った講演草稿です。宋代絵画の到達点から印象派の絵画理論まで、古今東西の美術に精通した天心ならではの芸術論となっています。例えば、天心が江戸時代の画家である尾形光琳について触れる部分があります。光琳はジャポニスムの文脈から海外でいち早く評価されていた画家であり、天心は「あなた方にとって陰影がレンブラントとなったように,われわれにとって波は光琳となったのです」と語っています。天心の光琳評価は後に横山大観や菱田春草らに引き継がれますが、天心が早くから光琳に注目していたことが分かるなど、貴重な資料となっています。
また同草稿で、天心は「茶の湯」についても言及しています。「茶の湯」を「共感の藝術」とみなし、「俗世のさまざまな事実を、調和を保ちながら味わっていくための重要な方法」と考えています。これは、2年後にニューヨークで刊行される『茶の本 (原題:The Book of Tea)』(1906年)で提唱された「不完全」の思想に連なる内容です。本展示では、「絵画における近代の諸問題」と『茶の本』、天心独自の思想がうかがい知れる、二つの資料を紹介します。

展示資料
岡倉天心「Modern Problems in Painting(絵画における近代の諸問題)」明治37年(1904)、個人蔵(資料保存のため、1ヶ月ごとにページ替えを行っております。)

観衆は画家自身と同じ程度に画家なのです。というのは、ひとつの思想を完成するには、両者が必要だからです。それは、共感の藝術を完成する真剣な試みとして茶の湯が広く行われていた時代のものです。皆様も当然お気づきのことと思いますが、茶の湯は儀式ではないからこそ儀式と呼ばれるのです。それはこの俗世のさまざまな事実を、調和を保ちながら味わっていくための重要な方法です。客と主人とはいっしょになって部屋の統一と会話のリズムを創り出して行かなければならないのです。」
『岡倉天心全集2』(平凡社、1980年)から引用。高階秀爾氏訳。

岡倉天心『The Book of Tea(茶の本)』明治39年(1906)、個人蔵(岡倉由三郎旧蔵)

「茶という飲料は、純粋と洗練を礼拝するための手段となり、主人と客が、いっしょになって、その機会に、平凡な生活事のなかのこの上ない喜びを創りだす、神聖な営みとなったのです。」(第二章 茶の流派)
「真の美は、ただ、不完全を心のなかで完全にする人によってのみ見出されるというわけです。人生と芸術も、その生き生きとした力は、成長する可能性のなかにあります。茶室のなかでは、一人ひとりの客が、自分自身との関わりのなかで、想像力によって全体の美を完成させるに任せます。」(第四章 茶室)
『新訳 茶の本』(明石書店、2013年)から引用。木下長宏氏訳。

担当:学芸員 塩田釈雄
本展示準備にあたり、依田徹『近代の「美術」と茶の湯 言葉と人とモノ』(思文閣出版、2013年)等を参照した。

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