岡倉天心記念室テーマ展示

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「新発見! 大橋雅彦(郁太郎)関係天心資料」

期間:平成20年4月18日(金)~10月1日(水)
ごあいさつ

新発見! 大橋雅彦(郁太郎)関係天心資料

東京美術学校の第二期生であり、岡倉天心の書生であった大橋雅彦(通称、郁太郎)のもとに残されていた天心に関わる貴重な資料が遺族からの情報により判明し、平成19年度当館の所蔵となりました。
天心自筆の書簡や、五浦で開催した「仲秋観月園遊会」の正式な招待状などを含む同資料の中にはまた、これまで全く確認されたことのない天心の評論文の「草稿」が含まれていました。この「草稿」は、パリのルーヴル美術館で見たレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザについての感想や、ベルリンで聞いたバッハやベートーヴェンの音楽のこと、さらにはゲーテやユゴーの文学などにもふれながら、西洋文化を縦横に論評する内容のもので、天心研究に新たな一面を開く画期的な資料といえるものです。
ご説明

大橋雅彦(郁太郎)について

元治元(1864)年12月13日、岡山県倉敷市連島(つらじま)に生まれる。本名、雅彦(まさひこ)、通称、郁太郎(いくたろう)。はじめ岡山で松原三五郎に洋画を学び、その後上京、橋本雅邦、川端玉章らに日本画を学び、葮霜(たんそう)の雅号を持つ。明治22(1889)年9月、東京美術学校第2期生として入学、25年「特別ノ課程」(教職課程)を卒業。卒業の1年前くらいから天心の書生となる。日本美術院正員、日本絵画協会評議員、日本美術協会会員となり、明治29年、33年、35年の日本美術院と日本絵画協会との連合展に出品するほか、日本美術院の地方展の開催で大きな役割を果たした。明治26年から34年まで東京府青山師範学校の美術教師として勤務したほか、38年には群馬の桐生織物学校、45年には奈良県女子師範学校に勤務。なお、当館には美術学校時代の課題画資料が13点所蔵されている。昭和16(1941)年1月24日、死去。

大橋雅彦(郁太郎)
大橋雅彦(郁太郎)
70歳前後
草稿概説

岡倉天心筆
草稿(ヨーロッパの芸術と宗教についての内容)  明治30年代頃

ヨーロッパでの鑑賞体験に基づき、絵画、音楽、文学等を論評した、これまで知られていない文章の草稿。特に西洋文化に根づいたキリスト教についての言及があり、多数知られた天心の文献でもこれまであまり見られなかった内容。始まりの部分が唐突であり、終わりも文がとぎれており、また、文のつながりから考えても、長い文章の途中の一文と見られる。天心研究に新たな知見を開く資料である。
資料全図

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